松山政治思想研究会

政治学や隣接分野(哲学、歴史など)を不定期で学ぶ学生の勉強会。

2018年7月西日本の大規模災害

 大雨・洪水による犠牲者が百名を超えたそうだ。余裕でオウム真理教による地下鉄サリン事件を上回っている(負傷者なら後者がもっと多いが)。「95年」以後は、災害とテロリズムの時代なのだとも改めて感じる。
 大規模な災害が起こる度に思うが、日本人には国防意識がなさすぎると思う。意識といえば個々人の心構えかのように思われるかもしれないが、そこに終始するのではなく、国家や社会の秩序を守るための集団体制の構築ということになる。
 災害は来てから対処すればいいやと、漠然と感じている人は多いだろう。日常に忙しい生活者はそんなものだ。だからこそ、日常レベルで災害に備える生活環境を整えなければならない。それは大がかりな話に限らず、小さなことから始められる。身近なところでは、学校の休校条件を、暴風のみならず大雨や洪水警報発令の場合をも含めるなどができるだろう。通勤もむろん強制停止とすべきだ。
 防災を名目に自衛隊の装備や人員を増強することも必要だろうし、普段から防災訓練を地域単位で繰り返しながら(地域運動会など「明るい」イベントに挟むなどの工夫もしつつ)、恒例行事としてしまえば、コミュニティも再生しうるのではないか。伝統的な共同体も好き好んで維持されてきたわけではない。
 適当な雑感をつぶやいたが、災害を新しい社会ビジョンを打ち立てる、良ききっかけとはできないだろうか。単に後手後手のボランティアだの復興行事だのを続けるよりは、よほど建設的だと勝手に考えている。

全体主義化する世界

 どう考えても、世の中の大勢は全体主義化している。それに歯止めをかけることは不可能ではないか。するべきことは、よりマシな全体主義を志向することでしかないように思う。

 資本主義が高度化すれば、コミュニティが解体され、人間は個人としてバラバラなまま放り出される。バラバラな個人をバラバラなまままとめ上げる手段が、例えば大衆民主主義であったり、監視テクノロジーであったりする。民意や技術は非論争的な性格を持つから、孤立した個人をまとめ上げる原理としてちょうど良い。

 結果、世の中はますます全体主義化していく。価値中立を装う全体主義よりは、価値に自覚的な全体主義(たとえば、ナショナリズム)の方がよほどマシだと思う。

オウム真理教指導者らの死刑執行

 7月6日、オウム真理教指導者らの死刑が執行されたという。改めて世に出回っている論説を見ていると、どうやら麻原彰晃については受刑能力があったかも疑わしく、そもそもその犯行の動機について語られないままだったという。あまりにも強引な処刑であり、いたずらに時間がある程度過ぎたから実行していいとは思えない。
 これとは別に、死刑制度そのものに対する批判も国内外から出ている。死刑制度は国家権力による人間の殺傷であるが、今のところ世論調査では死刑を是認する声が多数だったと記憶している。これは「悪いことをした者は、その報いを受けなければならない」という素朴な庶民感覚であると同時に、その報復する主体としての国家権力が、自分たちを代表しているとする意識の現れだろう。
 私たち青年は「オウム以後」の生まれだが、オウム真理教の犯行鎮圧をきっかけとして、監視・管理社会化の傾向が強化されている面は否めない。詳しくは森達也氏の著作や映画に触れてほしい(個人的には未見)が、「オウムだから」という例外的な措置が、やがてなし崩し的に全社会に適用されていく有り様は、いかがなものかと思う。厄介なことに国際的な「テロとの戦い」という大義とも連動しながら、こうした傾向は強まるだろう。
 もちろんオウムやイスラム・テロリストに無責任に賛同することはあり得ない。が、本来、内面ではなく行為のみを罰する法治主義、もっと広く言うなら「自由と民主主義」の理念が、「残酷行為」へのショックを引きずる形で、「怪しい者を予備的に摘発しよう」と、なし崩し的に歪曲させられているようでならない。だが、こうした治安全体主義に古典的な自由民主主義の理念を振りかざすだけでは限界があるのも確かである。
 何分、あまりにも難しい問題である。今後サークルでも議論の対象にしようと思います。

サークル名が変わるかもしれません

 昨日の夕方、今後の方針に関する打ち合わせ(&近況談義)をしました。すっかり周りが暗くなるまで話し込み、管理人はこれから寝るところです。

 結論からいうと、サークル名が変わるかもしれません。私たちの問題関心を明確にするためにも、社会問題という名称はやや不適切な気がしたので。妙案は出てきませんでしたが、例えば「政治思想研究会」とか「学術読書会」とか、色々悩みながら候補を出すにとどまりました。個人的に一番気に入っているのは「愛媛思想史研究部」なのですが、これは話し合いで言わなかったような…。

 とりあえず7日にある研究会で再度検討してみましょう。社研名義も結構気に入っているので、しばらくはこのままでいきます。

打ち合わせ

 今日は夕方、活動方針に関する打ち合わせをやります。新規加入者が出たこともあり、これまで何となくやってきた活動スタイルを振り返り、今後を展望する作業が必要になってくるでしょう。口で言うのは簡単ですが、先ほどレジュメで文章化しようとしたら挫折しました。
 このもどかしさはなんだろう。とりあえず単なるダベりに終わらないよう頑張ります。

スマホからパソコンへ移行しました

 これまで、スマホツイッターと当ブログのアプリをインストールしており、ずっとそこから発信していたのですが、このたびアンインストールしました。今後はパソコンだけで操作することになるでしょう。

 その理由は個人的なもので、スマホという手軽に触れる媒体からだと、ついつい用事の無いときにも使ってしまい、結果時間を浪費するだけでなく、他の多種多様な情報に押しつぶされて、意識が散漫になってしまうようになったからです。そこで、いっそのことスマホガラケー時代のように、単に個々人での連絡手段として主に使うことにしました。

 便利過ぎるものは時として有害にもなりえるのでしょう。パソコンに移行してからは大昔のような平穏な日常に戻りつつあります(笑)。情報過多だといわれる世の中ではありますが、意識して自分をそこから切断しようと思えば、ある程度はできてしまうのですよね。それをなかなかやれない(やろうとしない)だけで。一歩踏み出すのは大切です。