松山政治思想研究会

政治学や隣接分野(哲学、歴史など)を不定期で学ぶ学生の勉強会。

立花隆他『揺らぐ世界』(筑摩書房、中学生からの大学講義シリーズ4)

 約一年ぶりに新規メンバーが入り、慌てて「何か話題集めをしておこう」と思い、手にとったのが本書である。普段から真面目に勉強会の方向性を決めておかないから、付け焼き刃の対応をとることになるわけだが。

 本書は中高生向けに、様々な知的分野のプロフェッショナル達が、自身の精通する社会問題について易しく説き明かしている。その全てについていちいち言及する余裕はないが、印象深かった箇所についてのみ、感想を記そうと思う。

 

  あえて一番にあげるとしたら、立花隆氏の講演録だった。これを読んで、相変わらず「戦争」というレトリックが日本人は大好きなんだな、と思わせられた。

 1945年の第二次世界大戦での敗北を「第一の敗戦」としており、90年代初頭のバブル崩壊を「第二の敗戦」、そして2011年の東北震災を「第三の敗戦」と位置づけている。氏自身は敗戦の第一世代として、トラウマ的体験から力強く生きるバイタリティを得たと自負しており、講演を聴く子どもたちも第三世代として、政治的・経済的にますます混迷を深める世界の中で、たくましく生きていってほしいとするメッセージが伝えられる。

 1940年生まれの立花氏が、まるで戦争の全てを実感として知っているかのように言うのは、いささか違和感もあるが、しかし確かに青少年に比べたら圧倒的に「戦争経験」は豊富だろう。

 意外なのは、「敗戦」という現象にある種の希望を見出しているのにもかかわらず、第二の敗戦たるバブル崩壊にはほぼ言及してないところ。明言していないが、恐らく氏が想定しているのは、バブル崩壊時に青年だった、いわゆる「ロスジェネ」の人たちだが、彼らは暗に侮蔑されている。こんなことで大丈夫なのか、と。何だかこの眼差しには既視感がある。 

 同じシリーズの別巻にも出ている北田暁大氏がさんざん批判しているような「経済軽視」の態度。これからの社会は何が起こるかわからないと言っておきながら、最後にはこれから君たちが成長する社会は破綻するだろう、と主観的な終末論を煽る。既視感しかない。財政均衡を無批判に前提としている辺りも、日本の左派にありがちだろう。 戦争というレトリックを使いたいなら、現実に目の前で展開している派遣切り、違法労働、ワーキングプアなどの身近な社会現象こそが、生きるか死ぬかという戦争そのものと化していることに目を向けるべきではないか。 

 何だか立花氏をディスってるみたいで恐縮なのだが、そんなつもりはない。『日本共産党の研究』を始め、歴史的にも意義のある、優れた著作は多いし、愛読している。が、青少年に語るスタイルが露骨に今どきの左翼そのままだったので、つい色々言いたくなっただけである。15年安保のころから、ずーっと違和感のある、左の精神論。 

 立花氏以外の話は、それなりに勉強になる。とくに岡真理氏と森達也氏の文章は必読だろう。パレスチナとオウムという「人権の彼岸」で、彼らがどんな仕打ちを受けているか、私たちが異物として忌避したり排除したりすることに、現代社会のどんな根深い病理が潜んでいるか、を探るには格好の入門になると思う。 

 フランス革命以来の原則的な左翼というのは、普遍性を重んじる立場なわけだが、70年以上前の戦争・敗戦という出来事を、言葉遣いのレベルで現在の出来事と辻褄を合わせるのではなく、そこから抜き出せる教訓や本質・真理から、様々な現象を分析していく眼を養う方向にはいかないのだから、まことに不思議だ。 まあ、そんなんだから今や第二次世界大戦の記憶が、老いぼれの昔話か好事家の趣味にしかなっていないのだろうが。輿那覇潤氏のエッセイを読んで少しは頭を冷やしてほしい(https://books.bunshun.jp/articles/-/4225)。